琉球染織仕入れの旅② ~前編~

野瀬 達朗

商品仕入

野瀬達朗

琉球染織仕入れの旅② ~前編~

いつも京都きもの市場のブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。

京都きもの市場の商品仕入を担当しております、野瀬でございます。

毎日暑いですが、京都の街は祇園祭で賑わいを見せています!皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか?

私はというと、3年ぶりの山鉾巡業に足を運んで、人に揉まれながらも京都の夏を楽しんできました!やはり祇園祭は京都の夏の風物詩!これがないと夏がはじまらないですね!

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、この2年間は全国各地で日本の伝統行事が中止つづきですが、日本の伝統文化の一つである着物のお仕事に携わっている私としましては、こんなに悲しいことはありません・・・

全国の恒例行事が再開され、3年前には当たり前だった日常が少しでも早く戻ってくれることを祈るばかりです。

 

さて、今回は再び沖縄に仕入れに行ってまいりましたので、琉球染織仕入れの旅 第二弾をお送りしたいと思います!

この日はよく晴れていたので、工房巡りをはじめる前に首里城でお散歩してきました。

首里城公園を歩いていると、あまり見たことのない鳥に遭遇!

人懐っこいのですが、あまり見たことのない鳥・・・皆様はこの鳥を見たことがありますか?

調べてみると、バリケンという野鳥で、南米原産の野バリケンという野生のカモを家畜化したものだそうです。食用として日本に持ち込まれたものの、定着せずに野生化してしまったようですね。

首里城公園内のあちこちで見ることができるフレンドリーな鳥なので、首里城にいらした時は是非探してみてくださいね。

 

少し脱線してしまいましたが、今回まず最初に訪れたのは那覇市識名で首里織を制作される祝嶺恭子さんの工房です。

首里織の起源は、14~15世紀頃の琉球王国にまで遡り、中国や東南アジアとの交易にはじまり、その後沖縄の気候風土に合った個性が育まれ、表情豊かな織物へと発展していきました。

多様で高度な技術は長い間、脈々と受け継がれていきましたが、第二次世界大戦で資料をはじめとする伝統の全てを失われかけ、首里織は沖縄から消滅してしまうのかと心配されました。

そんな時代に、祝嶺さんは単身ドイツに渡り、大戦以前にドイツに回収・保管された琉球王国時代の貴重な織物や資料を調査し、「ドイツで」首里織を学び、研究し、最終的には独自で貴重な報告資料をまとめるに至りました。

祝嶺さんは、道具も資料も失ってしまった戦後の沖縄で首里織復興に大きく貢献した大変偉大な方なのです!!!

現在も、この道60年以上の経験をもとに首里織づくりをつづける傍ら、指導者として県立芸術大学で教鞭を執られているそうです。

昨年には、公共的業務に長年にわたり従事し功労を重ねた人に対して政府が授与する瑞宝章が、祝嶺さんの文化財保護功労・教育研究功労に対して贈られました。

首里織は、琉球王朝の香りが漂うような高貴な雰囲気のものが多いですが、祝嶺さんのこちらの作品(↑)には、高貴さの中にも柔らかく優しい親しみやすさのようなものも感じますね。

首里織の格調を損なうことなく、柔らかな色調やふっくらとした質感をプラスする祝嶺さんの技術と美意識に脱帽でした!

 

さて、次に訪れたのは、那覇市栄原で琉球紅型を制作する知念紅型研究所です。

こちらの工房を創設した知念家は、琉球王朝時代から数百年とつづく紅型三宗家の一つとして知られています。

ご当主である知念冬馬さんは、JALグループの日本トランスオーシャン航空(JTA)の座席のヘッドレストカバー制作に携わるなど、今大注目の若手紅型作家さんです。

***期間限定のため、現在は機内ではご覧いただけません。***

こちら(↑)は工房内の様子。繊細な柄もすべて手作業で色をつけています。本当に細やかで忍耐の必要な作業に頭が下がります・・・

京都きもの市場 銀座店にて、今年の冬頃に知念冬馬さんの個展を行う予定なので、今回は個展用の帯20本と着物2点をオーダーしてまいりました。

こちら(↑)のような素敵な琉球紅型が銀座店に並びますので、ご興味のある方は是非個展に遊びにいらしてください。

詳細は未定ですが、こちらの銀座店HPにてご案内いたしますので、時折チェックしてみてください。

 

長くなってまいりましたので、本日はこのへんにして続きは後編として次回のブログでご紹介したいと思います。

今回も最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

いよいよ夏本番です、今年も猛暑になりそうですので、くれぐれも水分補給をしながら夏を楽しんでください!

京都きもの市場
野瀬達朗

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